日本のEEZにおける深海レアアース開発:戦略的資源と実現可能性の全容
**日本は2026年1月、世界初となる水深5,500メートルの深海レアアース採掘試験を南鳥島沖で実施する。**東京の南東約1,900キロに位置する海底には推定1,600万トンのレアアース酸化物が眠り、その価値は260億~300億ドルに達する。しかし、この野心的プロジェクトは前例のない技術的課題、不確実な経済性、そして環境への重大な懸念に直面している。中国が世界のレアアース採掘の70%、精錬の90%を支配する中、日本の深海開発は国家安全保障戦略の核心であると同時に、商業的実現性が問われる壮大な実験でもある。
南鳥島海域の膨大なレアアース埋蔵量
南鳥島EEZ南部の約2,500平方キロメートルの調査海域に、**1,600万トンのレアアース酸化物(REO)**が存在することが確認されている。この発見は2018年、東京大学の加藤泰浩教授らの研究チームが『サイエンティフィック・リポーツ』誌に発表した包括的資源評価によって明らかにされた。
最も有望な「グリッドB1」と呼ばれる105平方キロメートルの区域には120万トンのREOが集中しており、平均濃度は1,700ppmを超える。この単一区域だけで、世界の年間需要に対してイットリウムは62年分、ユーロピウムは47年分、テルビウムは32年分、ジスプロシウムは56年分を供給できる計算となる。調査海域全体では、イットリウムは780年分、テルビウムは420年分、ジスプロシウムは730年分という驚異的な供給能力を持つ。
堆積物の特徴と組成: 海底下2~4メートルに分布するレアアース富含泥は、主に深海性褐色粘土で構成され、魚の歯や骨の断片である生物起源リン酸カルシウム(BCP)粒子が主要なレアアース担持鉱物となっている。BCP粒子のレアアース含有量は最大22,000ppmに達し、平均でも15,000ppmを超える。最高濃度は約8,000ppm(総REY)で、中国のイオン吸着型鉱床の20~30倍の品位を誇る。
特筆すべきは、重希土類元素(HREE)の割合が44%を占める点である。中国の鉱床が軽希土類75%:重希土類25%の比率であるのに対し、日本の堆積物は50:50に近い。重希土類のイットリウム(Y)が440万トン、ジスプロシウムやテルビウムなどその他のHREEが260万トン含まれており、ハイテク産業や防衛産業に不可欠な戦略的元素を豊富に有している。
さらに、放射性元素(ウランとトリウム)の濃度が陸上鉱床の5分の1程度と極めて低く、環境安全性の面でも優位性がある。地質学的には約3,440万年前(始新世‐漸新世境界期)に形成され、南極氷床の形成と地球の寒冷化に関連して、極めて低い堆積速度の深海環境で数百万年かけてBCP粒子がレアアースを取り込んだと考えられている。
2024年7月には、東京大学と日本財団が同海域で2億3,000万トンのマンガンノジュールを新たに発見したことを発表した。これにはコバルト61万トン(日本の75年分の需要)、ニッケル74万トンが含まれ、推定価値は263億ドルに達する。深さ5,200~5,700メートル、約1万平方キロメートルに分布するこの資源は、レアアース富含泥とは別の鉱物資源として注目されている。
極限環境への技術的挑戦
日本が開発中の深海採掘システムは、水深5,000~6,000メートルという前人未到の環境で稼働しなければならない。この深度での圧力は約60メガパスカルに達し、通常の潜水艦が到達できる水深(500~600メートル)の10倍以上である。石油・ガス産業の海底パイプラインが通常3,500メートル程度までであることを考えると、6,000メートルのパイプシステムはほぼ2倍の長さとなり、工学的に未踏の領域となる。
「日本式海底工場」の開発: JAMSTECとTOYOエンジニアリング、TOA株式会社が共同開発している「日本式海底工場」は、海底に自動化設備を最大限配置することでコスト削減を図る独創的なシステムである。地球深部探査船「ちきゅう」を主要採掘プラットフォームとし、二重管システム(内側のドリルパイプで海水を送り込み、外側のライザーパイプで泥スラリーを汲み上げる)を採用している。
海底設備には、泥を液化する機械、粉砕装置(4mm以下の粒子にする)、ポンプ、バルブ、モニタリングセンサー、制御モジュールが含まれる。TOA株式会社が開発した泥液化機械は、粘土質の海底泥を海水と混合してポンプ輸送可能なスラリーに変換する。扇形ブレード混合システムはJAMSTECの地球シミュレータスーパーコンピュータで最適化されており、粒子サイズ制御が可能となっている。
主要な技術課題: 最大の障壁は、泥の性質が「粘土のような質感で、固体として粉砕することも液体として流すこともできない」点にある。また、基盤の強度が当初予想の10%しかないことが判明し、海水を送り込む際に基盤が崩壊するリスクが浮上した。泥スラリーが弱体化した基盤の亀裂から逃げる可能性があるため、圧力管理を再設計する必要が生じた。
パイプシステムの耐久性も重大な懸念である。レアアース富含泥は「高度に研磨性」があり、石油やガスのようにスムーズに流れない。多段スラリーポンプ、バルブ、パイプ、油圧流路の摩耗と詰まりが懸念され、耐摩耗材料(硬質ダクタイル鋳鉄合金、ゴムライニング)が必要となる。6,000メートルの深度では修理のために設備を引き上げるしかなく、機械設計は可能な限り単純化する必要がある。
鉱物処理技術: 東京大学の2018年研究では、ハイドロサイクロン分離技術により、20マイクロメートル以上のBCP粒子を効率的に分離できることが実証された。この処理により、レアアース濃度を元のサンプルの260%まで高め、泥の体積を5分の1以下、重量を33~60%に削減できる。回収率は泥の品位によって70~93%に達する。分離された粒子のレアアース含有量は15,000~22,000ppmとなり、単純な酸浸出で容易に回収可能である。
実証試験の実績: 2022年8月~9月、JAMSTECは南鳥島近海で水深2,500メートルからの汲み上げ試験に成功し、海底工場技術の有効性を半分の目標深度で確認した。環境モニタリングシステムの有用性も実証され、閉鎖チャンバー内からスラリーを汲み上げることでプルームを最小限に抑えることが可能となった。
技術的準備状況: 2026年1月の5,500メートル試験採掘は、設備の機能性、完全性、効率性を実証することを目的とし、3週間で35トンの泥(約70キロのレアアース酸化物)を採取する計画である。2027年1月には日量350トンの処理能力を目指す。商業規模での採算性確保には「日量数千トン」の採掘が必要とされており、2027年目標から10倍以上のスケールアップが求められる。
専門家の評価では、技術的実現性は2028~2032年頃、完全な商業運転は2030年代半ばと見られている。成功すれば世界初の商業深度(6,000メートル)での鉱物回収となるが、失敗すれば3~5年のプロジェクト遅延が見込まれる。
不確実な経済性と巨額投資
日本の深海レアアース開発は、純粋な経済的利益よりも国家安全保障を優先する政府主導プロジェクトとして位置づけられている。プログラムディレクターの石井昌一氏は明確に「民間企業の利益ではなく、国家安全保障を強化するための国内供給確保が目標」と述べている。
政府投資と資金配分: 2023年、内閣府は南鳥島プロジェクトの汲み上げシステムを2,500メートルから6,000メートルに拡張するため、**60億円(約4,500万ドル)**を配分した。2010年の中国レアアース禁輸措置後には、**1,000億円(約12億ドル)**の包括的レアアース多様化プログラムが緊急予算として計上された。この内訳は、代替材料・低消費技術に120億円、効率的利用・リサイクル技術に420億円、原材料開発と海外権益取得に460億円である。
JOGMECの投資能力は、2022年末にレアアース鉱業プロジェクトへの出資比率上限が50%から75%に引き上げられた。2025年3月には、JOGMECと岩谷産業がフランスのCaremag重希土類精錬プロジェクトに**1億ユーロ(約1億2,000万ドル)を投資することを発表した。2010年から2025年までの累積投資は控えめに見積もっても1,500億円以上(11億ドル以上)**に達すると推定される。
資源価値とコスト見積もり: 南鳥島堆積物の総価値は260億~300億ドルと推定されるが、1トンあたりの採掘コストは公表されていない。JAMSTECは収益性確保には「日量数千トン」の採掘が必要としている。2027年の目標である日量350トンでは、年間127,750トンの泥から約255トンのレアアース酸化物しか得られず、世界需要(2024年は約19万6,630トン)と比較すると控えめな規模である。
市場価格の動向: 2024年~2025年のレアアース市場価格は下落傾向にある。ネオジム‐プラセオジム酸化物は55~57ドル/キロ(2024年12月、1月比9%減)、ジスプロシウム酸化物は220~270ドル/キロ(同33%減)、テルビウム酸化物は770~850ドル/キロ(同22%減)となっている。多くの非中国系レアアースプロジェクトの損益分岐点はネオジム‐プラセオジム酸化物で60ドル/キロ以上とされ、現在価格では約半数のプロジェクトが経済的に成立しない。
経済的障壁: 商業化への主な障壁として、①6,000メートルでの商業規模採掘が世界的に前例がないこと、②スラリー処理効率が大規模では未実証であること、③レアアース価格が2024年に17~33%下落したこと、④バッテリー技術の変化(コバルトやニッケルからの脱却)により「座礁資産」のリスクがあること、⑤中国の生産コスト(推定30~40ドル/キロ)に対する競争力の欠如、が挙げられる。
深海採掘の経済分析では、「投資家にとってマイナスリターン」との評価や、業界全体で「300億~1,320億ドルの価値破壊」の可能性が指摘されている。JOGMECの土居良仁氏も「経済的に有益となる十分な鉱物資源が本当にあるか、さらなる調査が必要」と慎重な姿勢を示している。
戦略的価値 vs. 純粋な経済的リターン: 純粋な経済計算では中国からの輸入が最もコスト効率的である。しかし日本は、2010年の禁輸措置による数十億ドル規模の経済混乱を経験しており、供給多様化のために大幅な経済的プレミアムを支払う意思を示している。深海採掘プロジェクトは、商品取引決定ではなく国家安全保障問題として扱われているのが実態である。
深刻な環境懸念と規制の枠組み
深海採掘は、地球上で最も研究が進んでいない生態系の一つに永続的な影響を与える可能性がある。深海生物は成長が遅く、寿命が長く、繁殖率が低いため、回復には数十年から数世紀を要するか、全く回復しない可能性がある。
生態系への直接的影響: 2017年のJOGMECによる沖縄トラフでの海底熱水鉱床試験(水深1,600メートル)の追跡調査では、試験から3年後も線虫と大型底生動物群集に「影響の可能性」が検出された。2020年の拓洋第五海山でのコバルトリッチクラスト採掘試験では、移動性海底動物と魚類の密度が43~50%減少し、1年後も持続していた。研究チームは「非常に小規模な海山採掘でさえ、底生生物群集を大幅に変化させる可能性がある」と結論づけた。
歴史的事例では、1970年代の採掘試験サイトが50年経過しても回復を示していない。2023年のペルー海盆調査では、1989年の試験による約1メートルの深さの溝が44年後もほぼ変化していないことが確認された。ナマコやウニなどの底生生物は「生態遷移の初期段階」しか示していない。
堆積物プルームの影響: 採掘作業は海底プルーム(底泥の巻き上げ)と中層水プルーム(廃棄物排出)の2種類を生成する。2021年のクラリオン‐クリッパートン地域(CCZ)でのPatania II採集機試験では、採掘サイト近傍で自然状態の最大10,000倍の堆積物濃度が記録された。重力流は急斜面を500メートル下方に移動し、懸濁粒子は14時間後にようやく自然レベルに戻った。モデリングでは、プルームが数万平方キロメートルに広がる可能性が示唆されている。
堆積物プルームは底生生物を窒息させ、濾過・呼吸器官を詰まらせる。冷水性ヤギ類サンゴに多金属硫化物粒子を曝露した実験では、短期間で生理機能障害と死亡が確認された。濾過摂食者は1年後でも「最小限の回復」しか示していない。
中層水域は地球の生物圏の90%を占め、世界の年間漁獲量の100倍の魚類バイオマスを含む。採掘によるプルームは魚類、エビ、カイアシ類、クラゲなどに影響し、自然に暗く静かな環境での視覚コミュニケーション、摂食、繁殖を妨げる。騒音汚染はクジラなどの大型動物にも影響を及ぼす。
有毒金属の放出: 多金属硫化物の採掘では、銅、カドミウム、重金属などの有毒金属粒子が放出され、曝露された生物に致命的となる可能性がある。2023年のJOGMEC報告書は、放出される有毒粒子が海洋生態系に「影響を与える」と述べている。現在の設備では鉱山廃棄物から有毒粒子を除去することが「困難」とされており、金属が遠洋食物連鎖に入り、人間の食料供給を汚染する可能性がある。
気候への影響: 深海生態系は炭素隔離において重要な役割を果たしている。海洋は全CO₂排出量の25%を吸収するが、採掘によりこの能力が損なわれる可能性がある。堆積層の除去はCO₂吸収能力の喪失を意味する。最近、深海での「暗黒酸素」生成が発見されたが、この現象はほとんど理解されていない。
規制の枠組み: 国際的には、国連海洋法条約(UNCLOS)と国際海底機構(ISA)が規制の中核を成す。ISAは168カ国が加盟し、日本も理事国である。探査規則は既に採択されているが、開発規則はまだ草案段階で、2025年7月の完成を目指している。ISAは31件の探査契約を発行しているが、2024年7月時点で商業ライセンスはゼロである。
日本国内では、2007年海洋基本法が日本のEEZ内の海底鉱物資源開発を促進し、1982年深海底鉱業暫定措置法が規制している。2023年第4期海洋基本計画は「特定国への依存軽減」を強調し、2020年代後半までに深海資源の商業化を重視している。しかし、商業的海底採掘の包括的法的枠組みは未整備で、現在の活動は政府主導の研究・試験段階にある。
環境影響評価(EIA)の課題: ISAのEIAプロセスは、①探査者が包括的EIA完了前に15年契約を確保できる、②契約修正には両当事者の同意が必要、③ISAが膨大な環境責任に対する制度的能力を欠く、④「ベストプラクティス」の定義が弱い、⑤コンプライアンスプロセスが不明確、⑥利害関係者協議の要件が不十分、といった批判がある。標準的EIAベストプラクティスに完全には適合せず、科学的不確実性に対処する仕組みが欠如している。
利害関係者の懸念: グリーンピース・インターナショナルは「深海採掘は決してない!」と全面的反対を表明し、国連による深海採掘モラトリアムを求めている。深海保全連合(DSCC)は100以上のNGOのネットワークで、環境リスクが包括的に理解され、効果的な保護が確保されるまでの国際モラトリアムを求めている。2025年時点で38カ国が予防的停止、モラトリアム、または禁止を支持しており、ポルトガル、英国、メキシコ、ドイツ、ニュージーランド、スペイン、フランス、スウェーデン、フィジー、ミクロネシア連邦、パラオ、コスタリカ、チリ、ブラジル、クロアチアが含まれる。
800人以上の海洋科学者が深海採掘の一時停止を求める声明に署名し、十分に理解されていない生態系への不可逆的損傷への懸念を表明している。2025年のScience誌の書簡では、日本に対して環境影響がより良く理解されるまで計画を停止するよう促している。
日本の開発計画と具体的タイムライン
日本政府は明確な段階的開発計画を策定している。2026年1月、南鳥島沖で世界初となる5,500~6,000メートルの深海からのレアアース試験採掘が実施される。東京の南東約1,900キロに位置するこの海域で、地球深部探査船「ちきゅう」を用いて3週間にわたり35トンのレアアース富含泥を採取する計画である。1トンあたり約2キロのレアアース酸化物が含まれると予想され、試験全体で約70キロのレアアースを回収する見込みである。
2027年1月には、パイロット操業へのスケールアップが予定されており、日量350トンの泥処理能力を目標とする。これは試験段階からの大幅な操業規模拡大を意味し、採掘、揚鉱、分離、精錬の全工程の統合システムを実証する。ジスプロシウム、ネオジム、ガドリニウム、テルビウム、イットリウムなどの元素を回収し、商業的実現可能性を判断する重要な決定ポイントとなる。
**2020年代後半(2027~2029年)**には商業化を目指すとされているが、これは条件付きである。①6,000メートルでの連続操業という技術的障壁の克服、②市場価格に対する経済的実現可能性の確認、③適切な資源量の検証、④環境モニタリング範囲の確立、⑤処理効率の最適化、が必要条件となる。
現実的な評価では、技術的準備は2028~2032年頃、完全な商業運転は2030年代半ばと見られている。商業規模での収益性確保には、パイロット規模(日量350トン)から「日量数千トン」への拡大が必要であり、5~10年のインフラ開発期間が想定される。
プロジェクト体制: 内閣府の革新的海洋開発国家プラットフォームが主導し、石井昌一氏がプログラムディレクターを務める。JAMSTECが技術支援と研究船を提供し、経済産業省(METI)が規制当局として機能し、JOGMEC(石油天然ガス・金属鉱物資源機構)が探査と試験を実施する。民間セクターはTOA株式会社(泥粉砕)、TOYOエンジニアリング(海底システム)、DOWAホールディングスなどが参加する。
戦略的位置づけ: 2022年12月の国家安全保障戦略は明確に「日本は特定国への過度な依存を抑制し、次世代半導体の開発・製造拠点を推進し、レアアースを含む重要物資の安定供給を確保する」と述べている。2020年の国際資源戦略では35種類の鉱物を「重要」に指定し、リスクレベルに応じて60~180日分の備蓄を目標としている。
2025年3月の日仏協力協定では、Caremag重希土類精錬所に日本が1億ユーロを拠出し、2026年末までにジスプロシウムとテルビウムの生産を開始し、日本の重希土類需要の20%を供給する計画である。
中国の圧倒的優位性と供給安全保障の課題
中国は世界のレアアース市場を支配し続けている。2024年の生産割当は27万トンREO相当で、世界の採掘量の**69.2%を占める。さらに重要なのは、精錬・加工能力の約90%**を支配していることである。2023年の生産は25万5,000トンREO、2022年は24万トンと着実に増加している。
中国の埋蔵量は4,400万~5,000万トンREO相当で、世界埋蔵量の**48%**を占める。第2位のブラジルは2,100万トン(23%)であり、中国の優位性は圧倒的である。ネオジム鉄ホウ素磁石の年間生産量は13万8,000トン(2018年データ)で、重希土類(ジスプロシウム、テルビウム)ではほぼ独占状態にある。
輸出制限と戦略的武器化: 中国は2009~2010年に輸出割当を40%削減し、2010年9月の尖閣諸島(中国名:釣魚島)事件では日本への一時的輸出禁止を実施した。これにより日本の自動車産業はパニックに陥り、レアアース価格は1年で10倍に高騰した。ジスプロシウム酸化物は2009年1月の91ドル/キロから2011年8月には2,377ドル/キロへと急騰した。
2025年4月、中国はレアアース磁石、合金、混合物の輸出禁止を発表し、5月にはスズキ自動車がスイフトの生産を中国のレアアース輸出制限により停止した。フォードなど他の自動車メーカーも生産遅延を経験した。さらに2025年、インドが13年間の供給協定にもかかわらず日本へのレアアース輸出を停止し、混乱に拍車をかけた。
中国は2段階価格制(国内価格を低く設定して外国メーカーを誘致)、輸出関税による国際価格の人為的引き上げ、外国企業の中国への移転奨励など、供給を地政学的影響力として活用する意思を繰り返し示してきた。
日本の多柱戦略: 2010年の危機を受け、日本は包括的な対応戦略を展開した。①効率化・代替化により2010年から消費量を50%削減、②電池や磁石のリサイクルインフラに政府補助金、③海外開発(オーストラリアのLynasに2億5,000万ドル投資、ベトナムのSREが2025年6月までに3,929トンに拡大、フランスのCaremagに1億ユーロ)、④戦略備蓄を60日から60~180日に増加、⑤南鳥島海底堆積物の国内資源開発、の5本柱である。
これらの取り組みにより、中国依存度は2010年の90%から2024年の60%へと低下したが、それでも依然として高水準である。
品質・タイプの比較: 日本の南鳥島堆積物は5,000~6,600ppmの総REY含有量を持ち、中国のイオン吸着型鉱床の20~30倍の品位である。特に重希土類元素が豊富で、総REY含有量の44%をY(イットリウム)とHREEが占める。最も有望な105平方キロメートル区域だけで、世界のイットリウム需要62年分、ユーロピウム47年分、テルビウム32年分、ジスプロシウム56年分を供給できる。
また、放射性元素(ウラン、トリウム)含有量が陸上鉱床より非常に低く、社会的・環境的移転問題がなく、日本のEEZ内にあるため主権的支配が可能という利点がある。一方で、前例のない深度(5,500~6,000メートル)、高い初期資本コスト、商業規模での未実証、深海生態系破壊への環境懸念という課題がある。
中国の鉱床は、バストネサイト鉱床(内モンゴルのバヤンオボ、軽希土類)とイオン吸着粘土(南部各省、重希土類、通常250~2,000ppm)の2種類が主である。確立された採掘・加工インフラ、数十年の操業経験、低い採掘コスト、鉱山から磁石までの垂直統合という優位性がある一方、重大な放射性廃棄物(トリウム、ウラン共存)、鉱山地域の深刻な環境悪化、加工における有毒化学物質使用、社会的移転と健康影響という欠点がある。
世界の供給網再編と日本の戦略的意義
世界のレアアース需要は急速に拡大している。2024年の市場規模は39億5,000万ドルで、2030年には62億8,000万~122億3,000万ドルに成長すると予測され、年平均成長率(CAGR)は5.8~8.6%である。2022年の需要は17万1,300トンREO、2024年は約19万6,630キロトン、2030年には23万8,700~26万360トンと予測されている。
用途別需要: 磁石が最大セグメントで2024年需要の41%を占め、2030年には36%になると予想される。ネオジム鉄ホウ素磁石のCAGRは2040年まで7.5~8.7%である。電気自動車(EV)の販売は2022年の1,050万台から2023年には1,420万台に増加し、国際エネルギー機関(IEA)は2030年までに3億5,000万台のEVを予測している。各EVはモーター用に相当量のネオジム‐プラセオジム磁石を使用する。風力タービン、特に洋上風力の直接駆動型タービンは大量のレアアース磁石を必要とする。ロボティクスは新たな最前線として2桁成長が予測されている。
供給不足の懸念: Adamas Intelligenceの予測では、2030年までにネオジム鉄ホウ素の年間不足が6万トン、2040年には24万6,000トン、ネオジム‐プラセオジム酸化物の不足は2040年に9万トン、ジスプロシウム酸化物は1,800トン、テルビウム酸化物は450トンの不足が見込まれる。IEAのネットゼロシナリオでは、2040年までにレアアース需要が600~700%増加する可能性があり、欧州委員会は2030~2050年に4.5~5.5倍の増加を予測している。
他国のプロジェクト: 米国のMP Materials(マウンテンパス、カリフォルニア)は2024年に4万5,000トンの鉱物濃縮物を生産し、2025年末までに年間1,000トンのネオジム鉄ホウ素磁石生産を目標としている。国防総省は2020年以降、国防生産法の下で4億3,900万ドル以上を投資し、2027年までに全ての防衛需要を満たす完全統合サプライチェーンを目指している。
オーストラリアは2025~2027年に生産を3倍にする軌道にあり、Lynasレアアースは2025年末までに1万7,500トンREOを目標とし、日本のネオジム‐プラセオジム需要の90%を供給している。Arafura Nolansプロジェクトには8億4,000万豪ドルの政府資金、Iluka Eneabba精錬所には12億5,000万豪ドルの政府融資が提供されている。
その他、ミャンマーが3万1,000トン(2024年)、ナイジェリアとタイが各1万3,000トン、ベトナムがSREベトナムを通じて処理能力を拡大している。
日本の深海採掘が成功した場合の影響: 日本の堆積物は特に戦略的に重要なジスプロシウム、テルビウム、イットリウムが豊富であり、重希土類市場に混乱をもたらす可能性がある。追加の供給源は中国の価格操作能力を弱める可能性がある。ただし、日量350トン(年間127,750トンの泥)でも、収量は年間約255トンREOにすぎず、世界需要と比較すると控えめな規模である。
長期的には、深海採掘の概念実証が成功すれば、広大な太平洋の資源を解放する可能性がある。日本の海底採掘技術は世界的にライセンス供与される可能性があり、深海レアアースを商業的に採掘する最初の国として規制枠組みを確立する前例となる。
地政学的再編: 西側諸国は同盟国(オーストラリア、日本、米国、カナダ、EU)を優先する「フレンドショアリング」を推進している。Quad(日米印豪)パートナーシップは重要鉱物に関する協力を強化し、日米は精錬・加工で協力している。日EU「経済2プラス2」対話では共同調達が議論されている。
投資トレンドとしては、官民パートナーシップの増加(政府リスク分担)、ESGプレミアム(責任ある調達レアアースへの支払い意欲)、垂直統合(鉱山から磁石までの支配を求める企業)、複数国による戦略備蓄(米国、日本、EU)が見られる。
多様化への課題: しかし、中国の90%の精錬支配を複製することは極めて困難である。新プロジェクトの稼働には3~5年を要し、分離施設には高い資本コストがかかり、専門技術者(特殊冶金学者、プロセスエンジニア)の不足があり、西側諸国では環境許可の課題がある。
日本の深海開発が示す未来
日本の深海レアアース採掘計画は、資源安全保障と環境保護の間の緊張を体現している。2026年の試験採掘は、世界で最も深い鉱物採掘の試みとして真に先駆的である。成功すればタイムラインが加速する可能性があり、失敗すれば3~5年の遅延が予想される。
プロジェクトの強み: 世界的に応用可能な先駆的技術、EEZ内の主権的支配(外国依存なし)、特に重希土類の例外的高品位堆積物、陸上鉱床と比較して低い放射性物質含有量、より広範な国家安全保障戦略の支援、という利点がある。
課題: 5,500メートルという前例のない技術的複雑さ、高額な初期資本コスト、未実証の商業的実現可能性、深海生態系損傷への環境懸念、規模の限界(日量350トンでも比較的小規模な生産)、という課題に直面している。
現実的評価: 2026年試験は実行可能(技術実証完了済み)、2027年パイロット操業は積極的だが達成可能な目標、商業規模生産(年間数千トン)は2030年代以前は困難、経済的実現可能性は持続的な高レアアース価格に依存、という見通しである。
中国の優位性は構造的であり、70%の採掘、90%の精錬能力、数十年の蓄積された専門知識、垂直統合サプライチェーン、低い生産コスト、供給を戦略的武器として使用する意思、により今後も続くと予想される。重希土類への依存は全ての輸入国にとって深刻な脆弱性のままである。
日本の海底採掘プロジェクトは、①将来の供給混乱に対する保険政策、②最先端海洋採掘における技術的リーダーシップの機会、③同盟強化のための外交資産(技術共有、合弁事業)、④輸入依存削減による国家安全保障強化、⑤技術が世界的に商業的に実行可能であることが証明されれば経済的機会、を意味する。
成功すれば、日本はレアアース輸入国から潜在的供給国へと変貌し、重要鉱物地政学における戦略的地位を根本的に変える可能性がある。しかし、その道のりは技術的にも経済的にも環境的にも険しく、2020年代後半は日本の深海採掘の実現可能性を判断する決定的な時期となる。